新型インフルエンザ対策
日本に入ってくるのであれば、対策の準備をするために、少しでも時間を稼いで、患者の数を少なくし、集中を避けることがたいへん重要です。
日本の場合は、船あるいは飛行機で外から入ってくるわけですから、もしそこに、流行地から来た方で、熱があったり、疑いのある人がいたならば、そこでなるべく止めなければいけません。検疫所で、できるだけ熱のある人をチェックして、病気の疑いのある人がいれば、診断をして、隔離するということが必要です。
新型インフルエンザの疑いのある人が最初に出た場合、その人は特別の指定病院に入院をしていただいて、厳密な管理が要ります。
それから、その人と接触をしただけの、傍にいたという人は、少しでも症状を抑えるための予防投薬をやったり、それから、どの人とどの人が接触したか、あるいはどういう場所を通ったか、こういった疫学調査もやらなくてはいけません。
感染症というのは、人が動くから人から人にうつっていくもので、人が密集しているところで人から人にうつすということもあるので、あまり人が集まるイベントのようなものやいっぺんにいろいろな人が動くラッシュの状況を避けるとか、学校でも感染が広がりやすいですから、一時的に休校にするのが必要です。

実例としては、過去にスペイン型インフルエンザが流行したときに、アメリカで流行したときにはいくつかの都市で差が出たという記録が残っています。
フィラデルフィアでは「これは決めたことなのだからやりましょう」ということで、人がたくさん集まって大パレードを行ってしまい、感染者が一気に増えた。 そして、市中発症率が10.8%になってようやく規制が開始され、8週間にわたって大流行が起こり、一度に多くの市民が発症したために、医療サービスや社会機能全般が破たんし、少なくとも1万5千人が亡くなりました。
一方、セントルイスという都市では市内に最初の死亡者が出るとすぐに緊急事態宣言を行い、人の集まるようなイベントであるとか、学校であるとか、教会であるとかあるいは飲みに行くところであるとか、そういうところも一斉に閉鎖し、集会を禁止にしました。
市中発症率が2.2%時点の早期にこれらの英断をおこなったため、一時期に流行が集中せず、医療サービスや社会機能の破たんも起きませんでした。
ですが、その一ヶ月間は相当不便、あるいは不満もあり、市長は強いバッシングを受けましたが、「私は市民が死ぬことは望まない」と宣言し、制限を断行しました。
このセントルイスの事例は、今も新型インフルエンザ対策の教訓として生きています。
歌人・与謝野晶子の心情
スペイン風邪流行時、与謝野晶子は「横浜貿易新報」(現・神奈川新聞)の紙上で、政府の対応の鈍さに不満を語っています。
「大呉服店、学校、高鉱物、大工場、大展覧会等、多くの人間の密集する場所の一時休業を(なぜ)命じなかったのでせうか」
与謝野一家には11人の子どもがいましたが、1人が小学校で感染したのをきっかけに、家族全員が次々と倒れました。
政府への不満は子を持つ親として当然の心情だったのでしょう。